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塩野七生『ローマ人の物語』の名言集「人間は、自分が見たいと欲する現実しか見ない」

この記事は、塩野七生の歴史小説
『ローマ人の物語』の名言を紹介します。

歴史小説とWikipediaには出ていたけど、
歴史エッセイだと思う。もしくは歴女のローマ史語り。
なのでチョイチョイ? むしろほとんど?
独自解釈がでてきますが、おもしろいです。おすすめ。

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目次

塩野七生『ローマ人の物語』の名言集

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『ローマ人の物語』スペシャル・ガイドブック

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「現実主義」というのは、
現実と折り合って適度に行くというんではなくて、

自分の考えていることは、
もしかしたら半分しか正しくないかもしれない
というような疑いを、
常に持つのが「現実主義者」です。
自分は絶対的に正しいと思い出したら、
それは宗教なのね。
「現実主義」というのは、
現実と折り合って適度に行くというんではなくて、
むしろ現実と闘うことなんですよ。
闘うとは、自分の側が
もしかしたら間違っているかもしれない
という疑いを常に抱くことです。

ローマ人の物語 (5) ― ハンニバル戦記(下)

ローマ人の物語 (5) ― ハンニバル戦記(下) (新潮文庫)

優れたリーダーとは

優れたリーダーとは、優秀な才能によって
人々を率いていくだけの人間ではない。
率いられていく人々に、自分たちがいなくては、
と思わせることに成功した人でもある。
持続する人間関係は、必ず相互関係である。
一方的関係では、持続は望めない。

いつ、どこで、どのように武器を使うかは、
このわたしが決める

他のすべてのことはまかせるが、
武器で決することに関しては自分にまかせてもらいたい。
いつ、どこで、どのように武器を使うかは、
このわたしが決める

いかなる強大国といえども

いかなる強大国といえども、
長期にわたって安泰でありつづけることはできない。
国外には敵をもたなくなっても、
国内に敵をもつようになる。
外からの敵は寄せつけない頑健そのものの肉体でも、
身体の内部の疾患に、
肉体の成長に従いていけなかったがゆえの内臓疾患に、
苦しまされることがあるのと似ている。

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ローマ人の物語 (6) ― 勝者の混迷(上)

ローマ人の物語 (6) ― 勝者の混迷(上) (新潮文庫)

失業者とはただ単に、
職を失ったがゆえに生活の手段を失った人々ではない

失業者とはただ単に、
職を失ったがゆえに生活の手段を失った人々ではない。
社会での自らの存在理由を失った人々なのだ。
(中略)
多くの普通人は、自らの尊厳を、
仕事をすることで維持していく。
ゆえに、人間が人間らしく
生きていくために必要な自分自身に対しての誇りは、
福祉では絶対に回復できない。
職をとりもどしてやることでしか、
回復できないのである。

ゆえに改革とは、
もともとマイナスであったから改革するのではなく

すべての物事は、プラスとマイナスの両面をもつ。
プラス面しかもたないシステムなど、
神の技であっても存在しない。
ゆえに改革とは、
もともとマイナスであったから改革するのではなく、
当初はプラスであっても
時が経つにつれて
マイナス面が目立ってきたことを改める行為なのだ。

確固とした自負心のみが

確固とした自負心のみが、
劣等感に悩むという「地獄」に落ちるのを防ぐのだ。
そして、過度な劣等感くらい、
状況判断を狂わせるものもないのである。

ローマ人が人類に教えたことの一つは

ローマ人が人類に教えたことの一つは、
各地方の独自性は保持しながらも、
全体を統一する普遍性の確率は
可能であると示した点であった

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ローマ人の物語〈10〉ユリウス・カエサル ルビコン以前(下)

非難とは、非難される側より

人間誰でも金で買えるとは、
自分自身も金で買われる可能性を
内包する人のみが考えることである。
非難とは、非難される側より
非難する側を映し出すことが多い。

賽は投げられた!

ここを越えれば、人間世界の悲惨。
越えなければ、わが破滅。
進もう、神々の待つところへ、
われわれを侮辱した敵の待つところへ、
賽は投げられた!

ローマ人の物語 (11)
ユリウス・カエサル ルビコン以後(上) 

ローマ人の物語 (11) ユリウス・カエサル ルビコン以後(上) (新潮文庫)

わたしが自由にした人々が
再びわたしに剣を向けることになるとしても

わたしが自由にした人々が
再びわたしに剣を向けることになるとしても、
そのようなことには心をわずらわせたくない。
何ものにもましてわたしが自分自身に課しているのは、
自らの考えに忠実に生きることである。
だから、他の人々も、そうあって当然と思っている

人間は、自分が見たいと欲する現実しか見ない

人間は、自分が見たいと欲する現実しか見ない

恋愛が介在することで左右できるほど、
国際政治は甘くない。

恋愛が介在することで左右できるほど、
国際政治は甘くない。

また、カエサル自体が、
愛しはしても溺れない性格だった。

ただし、クレオパトラのほうがそれを、
自分の魅力のためであった
と思いこんだとしても無理はなかった。

女とは、理によったのではなく、
自分の女としての魅力によったと
信じるほうを好む人種なのである。

それに、女にそのように思いこませるなど、
カエサルならば朝飯前であったろう。

ローマ人の物語 (12)
ユリウス・カエサル ルビコン以後(中)

ローマ人の物語 (12) ユリウス・カエサル ルビコン以後(中) (新潮文庫)

憤怒とか復讐とかは、相手を自分と同等視するがゆえに
生ずる想いであり成しうる行為

憤怒とか復讐とかは、相手を自分と同等視するがゆえに
生ずる想いであり成しうる行為なのである。
カエサルが生涯これに無縁であったのは、
倫理道徳に反するからという理由ではまったくなく、
自らの優越性に確信をもっていたからである。
優れている自分が、なぜ、
そうでない他者のところにまで降りてきて、
彼らと同じように怒りに駆られたり、
彼らと同じように
復讐の念を燃やしたりしなければならないのか。

文章は、用いる言葉の選択で決まる

文章は、用いる言葉の選択で決まる

治安と清掃は、
そこに住む人々の民度を計る最も簡単な計器である。

治安と清掃は、
そこに住む人々の民度を計る最も簡単な計器である。

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ローマ人の物語 (13)
ユリウス・カエサル ルビコン以後(下) 

ローマ人の物語 (13) ユリウス・カエサル ルビコン以後(下) (新潮文庫)

歓待とは、客人が無意識下で

歓待とは、客人が無意識下で
望んでいたものを提供することである。
ただし、それだけでは充分ではない。
客人は満足しても、いつかは飽きるからだ。
ゆえに、客人が無意識下に
望んでいたものを与えつつも、
同時に思いもしなかったものを提供することで、
それにプラス・アルファする必要がある。

自分にある種の才能が欠けていても

自分にある種の才能が欠けていても
それ自体では不利ではなく、
欠けている才能を代行できる者との
協力体制さえ確立すればよいということを、
教えたのであった。

バーナード・ショウ

人間の弱点ならばあれほども深い理解を示した
シェークスピアだったが、

ユリウス・カエサルのような人物の
偉大さは知らなかった。

『リア王』は傑作だったが、
『ジュリアス・シーザー』は失敗作である

他者の文化を自分のものにはしなくても
尊重することこそ、
知性である

他者の文化を自分のものにはしなくても
尊重することこそ、
知性であるからである。

最上のプロパガンダとは

オクタヴィアヌス、
最上のプロパガンダとは
執拗なくり返しであることも知っていたようである。

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ローマ人の物語 (14)
パクス・ロマーナ(上) (新潮文庫)

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ローマ帝国存続の鍵であることを認識していた。

アウグストゥスは、統一と分離、
中央と地方、中央集権と地方分権という、

もともとこれからして矛盾する概念の並立、
ないし同居に適したシステムの構築の成否こそ、
異人種、異宗教、異文化が混じり合う、
ローマ帝国存続の鍵であることを認識していた。

一つの目的のために完璧につくられたことは

一つの目的のために完璧につくられたことは
他の目的のためにも役立つという真理を、
ローマ街道くらい如実に示してくれるものもない。

反体制の不毛を知っていたからこそ、

生前のカエサルは、体制を倒しながらも、
体制に反対することでしか

力を獲得できないという性格をもつ
反体制の不毛を知っていたからこそ、

新秩序の建設を目指したのである。

システムというものは

システムというものは
時を経れば複雑化するのが宿命で、

ゆえに基本は常に単純であったほうがよい。

創造者の必ずそなえもつ才能でもある。

たとえマイナスがあっても
それをプラスに転化しうる才能は、

創造者の必ずそなえもつ才能でもある。

アウグストゥス

わたしのティベリウスよ、
若いおまえでは無理もないと思うが、

わたしのことを悪く言う人がいても
憤慨してはいけない。

満足しようではないか、
彼らがわれわれに剣を向けないというだけで

ローマ人の物語 (15)
パクス・ロマーナ(中) (新潮文庫)

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平衡感覚とは、

平衡感覚とは、
互いに矛盾する両極にあることに、

中間点に腰をすえることではないと思う。
両極の間の行き来をくり返しつつ、
しばしば一方の極に接近する場合もありつつ、
問題の解決により適した一点を探し求めるという、
永遠の移動行為ではなかろうか。

平和とは、神々に祈願はしても、

平和とは、神々に祈願はしても、
それを達成するのは
あくまでも人間の仕事であるのだから。

この才能でも、ローマ人は群を抜いていた。

一貫した方針とケース・バイ・ケースという、
概念では矛盾するやり方をともに行使し、
しかも積極的に活用していくには、
基本線は簡単なものであったほうがよい。

そして、これとともに求められるのは、
バランス感覚である。

この才能でも、ローマ人は群を抜いていた。

税金の計算とは、

税金の計算とは、税理士の必要もなく、
小学生でも計算できる程度にとどめておいたほうが、
税制としてはより健全ではないかと思ったりする。

キケロ

カエサル以前にはただの一人も、
彼がやったようには
言いもしなかったし書きもしなかった。

カエサルは、悲劇的なことでも
喜劇的なトーンをまじえずには叙述しなかったし、

打ち沈んだことでも
ユーモアの色をつけないでは
叙述しなかったのである。

人間には、ことの重大さを理解する頭脳はある。
だがそれが、重大なることへの対処には
必要な活力に結びつくか否かは、

そのことがどれほど読み聴く人にとって
心地よい形で呈示されたか否かによるのである。

二千年後まで生命を保つ芸術は、
作者の自然な想いの発露がなければ生まれない。

いかに援助を受けようと、
物質的援助に報いる想いだけで
書いた作品は駄作で終わるしかない。

二千年後まで生命を保つ芸術は、
作者の自然な想いの発露がなければ生まれない。

マエケナスは、
助成の対象選びが優れていたのである。

一見逆説のようだが、
逆説ではなくて真実である。

一見逆説のようだが、
逆説ではなくて真実である。

文明の度が高ければ高いほど、
その民族の制覇は容易になり、

低ければ低いほど、その民族の制覇は困難になる。

使う側から言えば駆使できる、
生き物であることを知っていた。

人間とは、責任感と自負心を
もったときに最もよく働く、

使う側から言えば駆使できる、
生き物であることを知っていた。

女の感性とて馬鹿にしたものではなく、

女の感性とて馬鹿にしたものではなく、
女とは、権力にも美貌にも
そうは簡単には騙されないものなのだ。

ローマ人の物語 (16)
パクス・ロマーナ(下) (新潮文庫)

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「平和」は

「平和」は、唱えているだけでは
絶対に実現しない。

妄執は、悲劇しか生まないのだ。

持続する意志自体は、
賞められてしかるべき性向である。

だがそれが、血の継続にここまで
執着する様を見せられると、

もはや「執着」よりも「執念」であり、
さらに執念を越えて「妄執」にさえ映る。
妄執は、悲劇しか生まないのだ。
古代の人々の考えでは、
あくまでも運命を
自分の思いどおりにしようとする態度は
謙虚を忘れさせ、

それゆえに神々から復讐されるからであった。

軍事力によって制覇したばかりの

軍事力によって制覇したばかりの
民族への制覇状態を永続させたければ、

被征服民族の支配層がもっていた権力を、
侵害せずに温存してやればよい。

盛者必衰は歴史の理と思う私には、

盛者必衰は歴史の理と思う私には、
もしもそうであったとしても
それで充分ではないか、

ましてや「先に延ばした」歳月ならば
数百年にも及んだのだから、

満足してしかるべきとなるが、
欧米の歴史家たちは、

自分たちだけは栄枯盛衰と無縁である
とでも思っているのかもしれない。

そして、彼らのあげる帝政ローマ蔑視の理由は、
帝政時代のローマでは自由が失われた、
という点であった。

自由とは、国政を決める自由である。
ならば、共和制時代のローマでは、
この種の自由を誰もが享受していたのか。

共和制ローマの政体は、
アテネのような直接民主政ではなく、

市民集会はあっても事実上は元老院が決める、
歴史上では寡頭政の名で呼ばれる
少数指導性出会った。

スッラによる改革以前は三百人、
以後は六百人の元老院議員だけが、

国政を決める自由を享受していたのである。
帝政時代に入ってこの自由を失ったのは、
この六百人なのだ。

そして、ローマ帝国の全人口ならば、
その十万倍にはなっていたのだった。

(省略)
効率良き国家の運営と
平和の確立という時代の要求の前に、

六百人の国政決定の自由は、
死守すべきほどの価値であろうか。

われわれ人間は、常に選択を迫られる。
なぜなら、絶対の善も悪も存在せず、
人間のやれるのは、
その中間で
バランスをとり続けることでしかないのだから。

ローマ人の物語 (17)
悪名高き皇帝たち(1) (新潮文庫)

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外交による解決と聴くと、

外交による解決と聴くと、
現代人は、その中でもとくに日本人は、

平和裡に話し合った末での解決と思ってしまう。
だが、軍事力を使って脅した後で握手する、
というのも外交である。

いや、それこそが最も有効な外交であることは、
歴史が証明してくれている。

なぜなら人間とは、
理で眼を覚ます場合は少ないのに、

武力を突きつけられれば眼を覚ますものだからだ。

「敗者さえも自分たちと同化した」

ローマ人は敗者をただ単に許したのではなく、
ギリシア人のプルタルコスが評したように、
「敗者さえも自分たちと同化した」のである。
このローマ人の敗者観は、
古代でも異例だったが、

二千年後の現代でさえも、
実に残念なことだが魅力を失っていない。

その後のいかなる覇権国家も、
敗者は斬り捨てられて終わりであったのだから。

洪水対策は人間の仕事である

洪水対策は人間の仕事である

誇り高い人とは、
何よりもまず自分自身に厳しい人である。

誇り高い人とは、
何よりもまず自分自身に厳しい人である。

自らを厳しく律する人間は、
一人息子の死であろうと、

悲哀に負けることだけは絶対に許さない。
悲嘆にくれ、仕事を放り出すようなことは
普通の人のやることであり、

普通の人とは思っていない人間には、
死んでもやれないことなのである。

おそらく、最も大きな哀しみに襲われた時期こそ、
自分にしかできない任務に没頭したことだろう。
それしか、誇りを保つ道はないからだ。

そして、普通の人ならば悲しみを克服して
仕事に復帰する時期になって、

誇り高き人ははじめて、
深く重い疲労感をおぼえるのではないだろうか。

FATA REGUNT ORBEM!
CERTA STANT OMNIA LEGE

FATA REGUNT ORBEM!
CERTA STANT OMNIA LEGE

不確かなことは、運命の支配する領域。
確かなことは、法という人間の技の管轄。

女本来の秩序蔑視の性向によって
無秩序が特色の蛮族に変えてしまう。

かつては法によって
任地への妻の同行を禁じていたのだが、

それもあながち理由のないことではない。
なぜなら、妻というものはしばしば、
夫の仕事が平和時の統治ならば
それを贅沢の趣向で邪魔するものであり、

反対に夫の任務が戦争である場合は、
恐怖によって同じく邪魔しがちなものである。

そのうえ、夫の配下にある兵士たちを、
女本来の秩序蔑視の性向によって
無秩序が特色の蛮族に変えてしまう。

また、労苦を好まないのが女だが、
それによって辺境防衛が任務のローマ兵たちを、
それに伴う労苦を価値のない
つまらないことであるように思わせることによって、

弱体な兵士に変えてしまうのである。
それに女というものは、機会さえ与えられれば、
残酷で策謀好きで権力好きなものである。

ローマ人の物語 (18)
悪名高き皇帝たち(2) (新潮文庫)

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ギリシア人の考えた上等な偽善とは、

ギリシア人の考えた上等な偽善とは、
たとえうわべを装おうとも
見せかけであろうとも、

それをする目的が公共の利益にあった場合である。
ギリシアの哲学者たちは、
この種の偽善を、

政治家には必要な手段であるとさえ認めたのだ。
必要悪、ではない。
もっとポジティブな意味をもつ「悪」である。

結果が悪と出たときにだけ、
主権の行使権を思い出すというだけで。

人間とは、主権をもっている
と思わせてくれさえすればよいので、

その主権の行使には、
ほんとうのところはさしたる関心をもっていない
存在であるのかもしれない。

結果が悪と出たときにだけ、
主権の行使権を思い出すというだけで。

情報の速度とは相対性で考えるべきで、

情報の速度とは相対性で考えるべきで、
絶対性ではないのだから。

だが人間は、常に「ニュース」を求める。

二十年このかたローマ人は、
このような「大事」の心配をする
必要がなく生きてこれたのである。

だが人間は、常に「ニュース」を求める。
「大事」に関心をもつ必要がなければ、
「小事」に関心をもってしまうのだった。

(中略)
言ってみれば、最後の数年のティベリウスに
浴びせかけられた悪評は、

皮肉にも、治世も通じての
ティベリウスの善政の結果生じた
一現象でもあったのである。

エキセントリックな性格の人の内心は、

エキセントリックな性格の人の内心は、
小心者であることが多い。

小心者は、他者の中に味方を開拓するよりも、
味方とはっきりしている者で
自分の周囲を固めたがる。

そしてこのような性格の人によっての味方は、
血縁者であることが特徴だ。

妹たちを厚遇したカリグラは、
妻になった女たちに対しては実に冷淡であった。

しかし、「普遍」とは、

しかし、「普遍」とは、
それを押しつけるよりも
「特殊」を許容してこそ実現できるものである。

具体的には、ケース・バイ・ケースが
最も現実的な方策ということになる。

ローマ人はこの面でも、
見事なまでにエキスパートであった。

常に弱者の立場でありつづけた民族は、

常に弱者の立場でありつづけた民族は、
被害者意識から自由になることがむずかしい。
そのタイプの人々は、
拠って立つ唯一のものが被害者意識であるがゆえに、
強者に対しては過敏に反応しがちなのである。

批判と実践はあくまでもちがう。

批判と実践はあくまでもちがう。
政治の実践とは、
ニュースがなければうまくいっている証拠
と言われるくらいに地味で、

それでいて一貫性そ求められる責務なのである。
臨機応変はよくても単なる移り気は、
政治の実践者にとっては
自らの墓穴を掘ることにつながるのであった。

ローマ人の物語 (19)
悪名高き皇帝たち(3) (新潮文庫)

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歴史に関心をもつということは、
懐古趣味などではまったくない。

歴史に関心をもつということは、
懐古趣味などではまったくない。

「人間性」に関心をもつか否か、
がそれを決める。

激動の時代に生れ合わせれば、
平穏な時代に生きるよりもなお、

諸々の言動に走る人間性に
興味をそそられるものなのだ。

とくに、観察力と分析力は充分に持ちながら、
時代の舵取りをできる立場にいない
アウトサイダーであればなおのこと。

歴史に関心をもつことは、

歴史に関心をもつことは、
自分をふくめた個々の人間の独創力に
全面的な信を置かないことでもあるからだ。
言い換えれば、「歴史は自分が創る」とは思わず、
「歴史は人間たちが創る」と思う立場である。
ゆえに、先人の示してくれた例を
参考にするのに抵抗を感じない。

理を解しそれを了承する人は、
常に少数派である。

理を解しそれを了承する人は、
常に少数派である。

多数派には、脅しのほうが効果的な場合が多い。
強大な軍事力をもつ者の脅しに多数派が屈せば、
理を解する少数派の立場も強くなる
という利点も、脅しにはあったのだ。

ローマが人類に残した最大の教訓 演説

予の先祖の中でも、
最も遠い始祖クラウススはザビーニ族の出身である。

しかしローマ人は彼とその一族に
ローマ市民権を与えただけではなく、

同時に彼に元老院の議席を与え、
ローマ貴族の列に加えた。

この先人たちの例に励まされて、
予はこれと同じような方針を
国家の行政面に応用すべきだと考える。

それはつまり、出身地や出身部族を問わず、
皆この首都に移植させ、優れた者であれば、
政治の中央に関与させるということである。

実際、次のような事実を忘れてはならない。
われわれは(カエサルなどの)ユリウス一門が
3代目の王に征服された
アルバからの移住者であることを知っている。

(大カトーや小カトーなどの)
ポルキウス一門の出身地が

(紀元前380年になってからローマ市民権を与えられた)
エトルリアであることも周知の事実だ。
このように優秀な人材であれば
出身地や出身部族を問わず、

イタリア全土から元老院に迎えられたのが
われわれの歴史なのである。

やがて、国内に平和が確立し、
外に向けて国威が発揚されると、

今度はトランスパダナ地方の部族が
ローマに受け入れられた。

そしてまた、全世界に軍団の退役古兵を
入植させたということを口実にして、

属州民から選抜したつわものを軍団兵に加え、
こうして人的資源に欠乏していた
我が国は補強されたのである。

さて、我々はヒスパニアからバルブス家を、
これらにひけをとらぬ立派な人物を
ナルボ・ガリアから迎え入れたのを
後悔しているだろうか? 

彼らの子孫は今もこの首都に住み続けている。
彼らの抱く、この国に対する祖国愛は
我々のそれに劣らぬものである。

スパルタ人やアテネ人が戦争に勝っても
短期の繁栄しか享受できず、

最後には破滅した理由は他でもない、
彼らが征服した民族をあくまで異国人として、
分け隔てしたからではないか? 

その点で、我らが建国者ロムルスは
賢明にもギリシア人とは

逆のやり方を選択したのであった。
数多くの民族を、敵として戦ったその日のうちに、
もう同胞として遇したほどである。
のみならず、外来者が我々の上に立ったことすらある。
解放奴隷の息子に官職を委託したこともある。
これらは多くの人が誤解しているように、
最近のことではない。

古い時代から、度々起こっていることなのである。

なるほど、我々はセネノス族と戦いを交えた。
しかし、ウルスキ族やアエタイ族が
我々に歯向かって
戦列を敷いたことが全くなかったというのか。

なるほど我々はガリア人の捕虜となった。
しかし我々はトゥスクル族に人質を与えたことも、
サムニテス族のくびきに屈したこともある。
それはともかく、
全ての外国との戦いを比較検証してみるなら、

ガリアとの戦争で費やされた期間は
他のどの民族との戦いよりも短いことに気付くだろう。
それ以後、ずっと両者の間の平和と
友好はゆらいではいない。

すでにガリア人は習慣や学芸や婚姻を通じて
我々に同化したのだ。

彼らの金鉱や財宝を独り占めさせないで
我々のところに持ち込ませようではないか。

元老院議員諸君、現在諸君が
たいそう古いと思っているものは、

かつてはみな新しかったのだ。
例えば、国家の要職もローマの貴族に続いて、
ローマの平民が、平民の後でラティニ族が、
ラティニ族の次には、

その他のイタリアの諸部族に門戸が開放されたのだ。
議員諸君、今われわれが議論している
ガリア人への門戸開放も

いずれローマの伝統になるに違いない。
そして今日われわれはこの問題を討議するうえで、
いくつかの先例をあげたが、
この問題もいずれは先例の一つとして
あげられるようになるだろう。

喜劇の幕は降りた。 

喜劇の幕は降りた。
古代ではなぜか、アテネでもローマでも、
喜劇と悲劇は同一日につづけて
上演されるのが常であった。

人の一生は、このうちの
どれか一つで終わるのはまれで、

多くの人の人生は、
喜劇と悲劇のくり返しで成り立っていると、

古代人は考えていたのかもしれない。
皇帝クラウディウスの人生も、
似たようなものであった。

人間とは心底では、
心地良く欺されたい
と望んでいる存在ではないかとさえ思う。

敬意を払われることなく育った人には、
敬意を払われることによって得られる
実用面でのプラス・アルファ、
つまり波及効果の重要性が理解できないのである。
ゆえに、誠心誠意でやっていればわかってもらえる、と思いこんでしまう。
残念ながら、人間性は、
このようには簡単には出来ていない。

私などはときに、人間とは心底では、
心地良く欺されたい
と望んでいる存在ではないかとさえ思う。

ローマ人の物語 (20)
悪名高き皇帝たち(4) (新潮文庫)

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「政治は高度のフィクションである」

皇帝の責務の二大重要事は
「安全」と「食」の確保であるが、

これは二つとも保証されていたのである。
しかし、人間は、問題がなければ
不満を感じないというわけではない。

枝葉末節なことであろうと問題を探し出しては、
それを不満の種にするのは人間性の現実である。
このような人間を
相手にしなければならないがゆえに、

「政治は高度のフィクションである」
(丸山真男)と言われたりするのだと思う。

寛容について セネカ

同情とは、現に眼の前にある結果に対しての
精神的対応であって、

その結果を産んだ要因にまでは心が向かない。
これに反して寛容は、
それを産んだ要因にまで心を向けての
精神的対応であるところから、

知性とも完璧に共存できるのである

歴史は、侵略の歴史でもある。
つまり、人間の悪業の歴史でもある。

ここでは、侵略は何であろうといけないという、
理想主義は排す。

歴史は、侵略の歴史でもある。
つまり、人間の悪業の歴史でもある。
これが人間性の現実ならば、
悪事による弊害をいかにして少なくするか、にも、
人間の知恵を働かせる場所はある。

人間には、自ら体験しないと、

人間には、自ら体験しないと、
つまり身にしみないと、

理解できない人が多いのである。

知識人とは、「知」を探求するだけでなく、

知識人とは、「知」を探求するだけでなく、
「知」で勝負する生き方を選んだ人である。
勝負なのだから、負けとわかった場合は、
ひとまずにしても引き退がるのが当然だ。

お前をすぐに許そう。

お前をすぐに許そう。
責任を問われる恐怖で
お前が病気にならないうちにだ。

恐怖に駆られるとすぐに平静を失うのが、
お前の特質らしいからね

寛容とは、相手に同意することではない。

寛容とは、相手に同意することではない。
同意はしないけれども、
相手の存在は認めるということである。

勝者と敗者を決めるのは
その人自体の資質の優劣ではなく、

歴史に親しむ日々を送っていて痛感するのは、
勝者と敗者を決めるのは
その人自体の資質の優劣ではなく、

もっている資質をその人が
いかに活用したかにかかっている
という一事である。

では、現体制にとって代わりうる
新体制を提示できない場合、

では、現体制にとって代わりうる
新体制を提示できない場合、

知的な反体制人はどこに、自らの道を求めるのか。
批判、である。それも、安易な。
批判のための批判や
スキャンダル志向に堕してしまうのは、

それをしている人自身が、自分の言葉の効果を
信ずることができないからである。

「タキトゥスのペシミズム」の真因も、
帝国の将来への憂慮ではなく、
自身の考えの実現を望めないがゆえに
生ずる憂愁に起因したと、私ならば考える。
繁栄する資本主義国に生きる、
裕福なマルクス主義者にも似て

ローマ人の物語 (21)
危機と克服(上) (新潮文庫)

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反対に、中と下の層が充分に機能していれば、

もはや坂をころげ落ちるばかりの
ローマ帝国を書いていて思うのは、

中間と下部がダメになったら、
いかに上部ががんばろうと
何をやろうとダメ、ということである。

反対に、中と下の層が充分に機能していれば、
少しばかりの間ならば
上層部の抗争で生れた弊害も吸収可能、
ということでもある。

(中略)
それも、次々と入れ代わる
皇帝の顔を刻んだ銀貨を鋳造しても、

それが市場に出まわる頃には
もう当の皇帝は殺されていたというのだから、

紀元一世紀のローマ帝国には、
悲劇を喜劇にしてしまう活力までがあったのだった。

人類は現代に至るまであらゆる形の政体、

人類は現代に至るまであらゆる形の政体、
王政、貴族政、民主政から
果ては共産主義政体まで考え出し実行もしてきたが、

統治する者と統治される者の
二分離の解消にはついに成功しなかった。

解消を夢見た人は多かったが、
それはユートピアであって、

現実の人間社会の運営には
適していなかったからである。

となれば、政体が何であるかには関係なく、
統治者と被統治者の二分離は
存続するということである。

存続せざるをえないのが現実である以上、
被統治者は統治者に次の三条件を求めたのだ。
統治するうえでの、正当性と権威と力量である。

平凡な資質の持主は、

平凡な資質の持主は、
本能的に、自分よりも優れた資質の持主を避ける。

自分にない才能や資質を迎え入れることで、
自分自身の立場を強化するなどという思考は、
平凡な出来の人には無縁なのだ。
とはいえこれをできたら、
もはや平凡ではなくなるのだが。

人間が人間を裏切るのは、

人間が人間を裏切るのは、
恐怖よりも軽蔑によってであるのだから。

「歴史から学ぶ」というのも、

「歴史から学ぶ」というのも、
教える側よりも
学ぶ側の資質しだいだと思えてならない。

いかに理に適った戦略でも、

いかに理に適った戦略でも、
ヒューマン・ファクターへの配慮なしには、

机上の作戦で終わるしかないのである。

リーダーの第一条件が、

リーダーの第一条件が、
彼に従う人々に対しての統率力にあるからだ。

コントロールする力量が必要不可欠である理由は、
目標の達成は完璧でなければならないからである。
それが戦闘での勝利ならば、
圧勝しなければならない。

敵と刺しちがえるなどは、
単純な戦好きの考えることである。

戦闘という人類がどうしても
超越できない悪がもつ唯一の利点は、

それに訴えることで、
これまで解決できないでいた問題を
一挙に解決できる点にある。

圧勝でなければ意味をもたない理由もここにある。
そこそこの勝利では、

戦時とさして変わらない状態で
だらだらとつづく危険があるからだ。

圧勝と言っても、それを計るのは
敵側の死者の数ではない。

それよりも、味方の犠牲者が少ないことのほうが重要である。
なぜなら、勝利が真に勝利であるためには、
敵が再び戦いに訴えてこないような状態にする必要がある。
つまり、文字どおりの決戦でなければならない。
そしてそのためには、敵を殺しまくるよりも、
味方の兵力を維持しつづけるほうが有効だった。
犠牲者が少なければ、士気の低下も避けられる。
昨日まで起居をともにしてきた同輩が
左右両隣りでバタバタ殺されて、

それでも士気が衰えない兵士を求めるなどは、
人間性を無視した
無いものねだりであるというしかない。

無用な犠牲を払うことなしに
勝利を勝ち獲るのが目的であるからこそ、

自軍の兵士たちへの
完璧なコントロール力が求められてくるのだ。

一気に圧勝にもっていくための戦略や戦術を駆使するうえでも、
配下の兵士たちを完璧な統率下におく必要があった。
だが、この統率力を、五万人もの数の人間に対して行使する能力となると、
そうは誰にでも恵まれるものではない。
古代西欧の戦史を見ても、
アレクサンダー大王、ハンニバル、
スキピオ・アフリカヌス、

ポンペイウス、カエサルと、
指を折って数えられるほどしか存在しない。

彼らはいずれも、
敵よりは劣る数の兵力で圧勝したのだから、

戦略戦術ともに抜群の能力の持主ではあったのだ。
しかし、彼らの勝利の真因は、
一に、自軍の兵士たちを
コントロールする力量の見事さにあった。

ローマ人の物語 (22)
危機と克服(中) (新潮文庫)

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他者を支配下におくことを考えた民族で、

そしてこのゲルマン人の、ガリア人を
自分たちの側に引きつけようとするときの常套句は、

いつも決まって自由と独立の二語である。
だが忘れないでもらいたい。
他者を支配下におくことを考えた民族で、
この二語を旗印にかかげなかった民族は
皆無であるという人間世界の現実は、

忘れないでもらいたい。

報復の応酬こそが

報復の応酬こそが国家の自壊につながる

他民族に長く支配された歴史をもつ民族は、

他民族に長く支配された歴史をもつ民族は、
現代人の考え方では
しいたげられた民族ということになり、

同情を寄せられるのが当然という感じになっている。
だが、しいたげられた長い歴史をもつということは、
それゆえの精神構造の変化を
もたらさずにはおかないという、

現実にも眼を向ける必要がある。
具体的に言えば、
自衛本能が発達せざるをえなかったゆえと思うが、

思考の柔軟性が失われてかたくなになる。
また、何に対してであろうと過敏に反応しやすい。
そして、過酷な現実を生き抜く必要からも夢に頼る。
ユダヤ教では、救世主待望がそれに当たった。

古代のローマ人は、
人間の担当分野である政治に

興味深いのは、ローマ人の言語であるラテン語には、
神権政治を意味する言葉からして
存在しないという事実だ。

古代のローマ人は、
人間の担当分野である政治に
神が介入してくるような政体を、

考えたことさえもなかったという証拠である。

一枚岩でなければなおのこと、
急進派の行動は過敏度を増す。

一枚岩でなければなおのこと、
急進派の行動は過敏度を増す。

自分たちの考えの正しさを示すためであると同時に、
信念からではなく立場上穏健派に属していた人々に、
もうここまで来ては先に進むしかない、
と観念させるためでもある。

しかもこの時期、
急進派内でもさらに二分裂していたのだ。

過激な行動は、まるで競い合うようになる。

玉砕は、後生も感動させることはできても、
所詮は自己満足にすぎない。

異なる宗教、異なる生活様式、
異なる人種であっても、

ともに生きていかねばならないのが
人間社会の現実である。

玉砕は、後生も感動させることはできても、
所詮は自己満足にすぎない。

ヴェスパシアヌス

お前は、わたしによって
死刑になるためには何でも言うつもりのようだが、

わたしは、キャンキャン吠えるからといって
その犬を殺しはしないのだよ

ヴェスパシアヌス

かわいそうなオレ、
神になりつつあるようだよ

ローマ人の物語 (23)
危機と克服(下) (新潮文庫)

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報復とはしばしば、

報復とはしばしば、
理性ではなく感情の所産であることを

忘れるわけにはいかないのである。

人間性に対する幻想である。

有権者ならば誰でも
国政への判断力をそなえていると思うのは、

人間性に対する幻想である。
もしも幻想でなくて現実であるのならば、
プロパガンダの必要はなくなる。

人間であることの宿命は、

人間であることの宿命は、
何かを成せば成したで、

それによって起こる新しい問題に
直面せざるをえないことにもある。

つまり教育とは、放っておいても
一人で育つ天才のためにあるのではなく、

国家にとっての教育というものの
あるべき形を理解していたからであろう。

つまり教育とは、放っておいても
一人で育つ天才のためにあるのではなく、

社会全般の知力の向上が
目的であるべきとする考えである。

ローマ人の物語 (24)
賢帝の世紀(上) (新潮文庫)

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女とは、同性の美貌や富には
羨望や嫉妬を感じても、教養や頭の良さには、

羨望もしなければ嫉妬も感じないものなのだ。

現世よりも来世を重視すれば、
これまた当然の理でもあるけれど。

需要の量とそれに応える分業化の進行は、
経済発展の指針ではなかろうか。

もしもそうだとすれば、
四世紀には決定的になるキリスト教の台頭は、

経済の繁栄には役立たなかったということがわかる。
現世よりも来世を重視すれば、
これまた当然の理でもあるけれど。

現世を重視していればよかった
トライアヌス時代のローマ人にとって、

インフラ工事ラッシュは、
自分たち人間の自信の爆発でもあったのだろう。

過激化は、絶望の産物なのである。

ヒューマニズムに目覚めたから、ではない。
人間は、飢える心配がなければ穏健化する。
過激化は、絶望の産物なのである。

善政とは所詮、

善政とは所詮、
正直者がバカを見ないですむ
社会にすることにつきるのだった。

ローマ人の物語 (25)
賢帝の世紀(中) (新潮文庫)

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政治は非情なものなのだ。

政治は非情なものなのだ。
そのことを直視しないかぎり、
万人の幸せを目標にすえた政治はできない。

組織の機能の向上を求めるならば、
責任の所在を明らかにしておくことが

組織の機能の向上を求めるならば、
責任の所在を明らかにしておくことが
先決であったからだろう。

組織にはしばしば、
責任の所在が明確になることを嫌う人がいる。

それは、その人自身が責任をとりたくないからだ。
多様多種の人間が混在するのが人間社会だから、
この種の人間が消えてなくなることはないのだが、
多数を占めるようになっては
その組織の機能は退化する。

自らの考えを実現する
という幸運に恵まれた人と

だが、自らの考えを実現する
という幸運に恵まれた人と、

それによる成果を享受する人とは、
別であって当然ではないだろうか。
とくにそれが、
公共の利益を目的としたものであればなおのこと。

人間とは、流動性さえ保証されていれば、

人間とは、流動性さえ保証されていれば、
格差は意外と受け容れるものなのである。

ローマ帝国滅亡後の北アフリカの住民は、

ローマ帝国滅亡後の北アフリカの住民は、
かつての流浪の民が定着民化したケースが多く、
緑があってこそ雨も降るという道理が
理解できないのではないかと思ってしまう。

そして、緑を確保するための唯一の方策は、
「平和」でしかないという道理も。

ローマ人の物語 (26)
賢帝の世紀(下) (新潮文庫)

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外交も戦闘に似て、

外交も戦闘に似て、
相手側が予想もしなかった戦術で攻めたときに勝つ。

つまり、最も大きな効果を産む。

被統治者が贈りたいと思うものを受けるのも、

被統治者が贈りたいと思うものを受けるのも、
統治上の一策なのである。

教条主義者の過激度が激化する一方になるのは、

教条主義者の過激度が激化する一方になるのは、
宿命と言ってよい。

純粋であろうと努めれば努めるほど、
わずかな不純さえも許せなくなるのである。

孤立は、過激化の温床であったからにすぎない。

カエサルがユダヤ民族の孤立を防ぐ必要を感じたのは、
人道上の理由からではない。

孤立は、過激化の温床であったからにすぎない。

神を愛するあまりに人間を憎むことになる

ハドリアヌスは、
真実は自分たちだけが所有しており、

それは唯一無二の自分たちの神のみであるとする
彼らの生き方を、

多様な人間社会もわきまえない
傲慢であるとして嫌ったのだ。

そして、それ以外の神々を信仰する他者を
軽蔑し憎悪するこの人々に、

神を愛するあまりに人間を憎むことになる
性癖を見出して、同意できなかったのであった。

正真正銘の保守主義者であった。

春の陽差しのように穏やかで、
何ごとも穏便に解決されるよう努め、

バランス感覚が抜群であり、虚栄心は皆無。
こうくれば当然の帰結だが、
正真正銘の保守主義者であった。

アントニヌス・ピウス

責任を果たしていない者が
報酬をもらいつづけることほど、
国家にとって残酷で無駄な行為はない

アントニヌス・ピウス

感情を抑制するのに、賢者の哲学も皇帝の権力も
何の役にも立たないときがある。

そのようなときには、
男であることを思い起こして耐えるしかない

人格円満な人が、

人格円満な人が、
大改革の推進者になる例はない。

「平和」が最上の価値であることを。

しつこく思われようとも、
私は何度でもくり返す。

人間にとっての最重要事は
安全と食の保証だが、

「食」の保証は「安全」が保証されてこそ
実現するものであるということを。

ゆえに、「平和」が最上の価値であることを。

ローマ人の物語 (27)
すべての道はローマに通ず(上) 

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インフラストラクチャーくらい、

インフラストラクチャーくらい、
それを成した民族の資質を表すものはない
と信じていたからである。

政治家や官僚の仕事は、

夢とかゆとりとかは各人各様のものであって、
政策化には欠かせない客観的規準は存在しない。
政治家や官僚が、
リードするたぐいの問題ではないのです。

政治家や官僚の仕事は、
国民一人一人が
各人各様の夢やゆとりをもてるような、

基盤を整えることにあると思います

システムとは、衆に優れた力に恵まれた
人のためにあるのではなく、

システムとは、衆に優れた力に恵まれた
人のためにあるのではなく、

一般の人々の力に合致し、
その人々の必要性までも
満たすものでなければならない。

それゆえに、創案者個人の能力とは
無関係であるべきで、

実際そうでないと機能できないし、
システムとしても継続性をもてない。

私個人では、学ぶのは歴史と経験の両方でないと、

賢者は歴史に学び愚者は経験に学ぶ、
という格言があるそうだが、
私個人では、学ぶのは歴史と経験の両方でないと、
真に学ぶことにはならないのではないか
と思っている。

歴史は知識だが、
それに血を通わせるのは
経験ではないかと思うからだ。

ローマは、詩人のこの夢を、現実にしたのである。

今や、わたしのようなギリシア人にとって、
いや他のどの民族にとっても、

行きたいと思う地方に旅することは、
身分を証明する書類の申請さえも
必要としないで実行に移せる、

自由で安全で容易なものになっている。
ローマ市民権の所有者であるだけで、
いや、ローマ市民である必要さえもない。

ローマの覇権の許で
ともに暮らす人であるというだけで、

自由と安全は保証されているのだ。
かつて、ホメロスは謳った。

大地はすべての人のものである、と。
ローマは、詩人のこの夢を、現実にしたのである。
あなた方ローマ人は、傘下に収めた土地のすべてを、
測量し記録した。

そしてその後で、河川には橋をかけ、
平地はもちろんのこと山地にさえも街道を敷設し、
帝国のどの地方に住まおうと、
往き来が容易になるように整備したのである。

しかもそのうえ、
帝国全域の安全のための防衛体制を確立し、

人種が違おうと民族が異なろうと、
共に生きていくに必要な法律を整備した。

これらのことすべてによって、あなた方ローマ人は、ローマ市民でない人々にも、
秩序ある安定した社会に生きることの
重要さを教えたのであった。

ローマ人の物語 (28)
すべての道はローマに通ず(下)

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良きリーダーは、
マキアヴェッリによれば二種に分れる。

良きリーダーは、
マキアヴェッリによれば二種に分れる。

一方は、自分に何でもやれる能力があるところから、
何でも自分一人でやってしまう人。
他方は、自分には何でもやれる能力が
ないことを知っていて、

それゆえに自分にできないことは他者にまかせる人。
ユリウス・カエサルは前者であり、
アウグストゥスは後者であった。

学者とは、自分たちの間では自明のことには

学者とは、自分たちの間では自明のことには
新しく言及しない人種でもあるのだ。

ある一つの考え方で

ある一つの考え方で
社会は統一さるべきと考える人々が

権力を手中にするや考え実行するのは、
教育と福祉を自分たちの考えに沿って
組織し直すことである。

ローマ人の物語 (29)
終わりの始まり(上) (新潮文庫)

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マルクス・アウレリウス

人間は公正で善良でありうるかなどと、
果てしない議論をつづけることは許されない。

公正に善良に行動すること、
のみが求められるときが来ている

優れた建造物は必ず、
それを建てた人間の哲学を体現している。

優れた建造物は必ず、
それを建てた人間の哲学を体現している。

われわれが感じとらねばならないのは、
その哲学のほうである。

指導者の存在理由は、

一般の市民が誰でも雨傘を用意するくらいならば、
指導者などは必要ないのである。
一般の人よりは強大な権力を与えられている
指導者の存在理由は、

いつかは訪れる雨の日のために、
人々の使える傘を用意しておくことにある。

ハドリアヌスが偉大であったのは、
帝国の再構築が不可欠とは
誰もが考えていない時期に、

それを実行したことであった。

マルクス・アウレリウス 

魂が肉体から離れねばならないときに、
それを安らかに受けとめることができたら、
何とすばらしいことだろう。

だが、この心の準備は、人間の自由な理性によって
達した結果でなければならない。

キリスト教徒たちのように、
かたくななまでの思いこみではなく

天才とは、

天才とは、他の多くの人には見えないことまで
見えることのできる人ではなく、

見えていてもその重要性に気づかない人が多い中で、
それに気づく人のことなのであった。

ローマ人の物語 (30)
終わりの始まり(中) (新潮文庫)

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その人はもう蛮人ではない。

貧しければ食べる量も減るから
人口も減るのではないかとは、

文明国の人間の考えである。
狩をして帰った後は、他にやることがない。
貧しいうえに文明度も低いので、
家も一部屋しかないのが普通で、
そこで何もかも行う。セックスまでする。

やることも少なく
子供の頃から見慣れているとなれば、
多産は当然の帰結だ。

生れた子を養えるかどうかを
考える人がいたとすれば、

その人はもう蛮人ではない。

戦略は、現状を正確に把握していさえすれば
立てられるというものではない。

戦略は、現状を正確に把握していさえすれば
立てられるというものではない。

過去、現在、未来を視野に入れたうえで、
それらを統合して立てるものである。

そうでないと、たとえ勝利しても
それを有機的に活用することができない。

活用できないと、戦闘には勝ったが
戦争には負けたということになってしまいがちだ。

「自覚」が重要なのは、これこそが
一貫した戦略の支柱になるからで、
それが確立していないと、

戦争の長期化につながりやすい。
戦争は、攻められる側だけでなく、
攻める側にとっても悪である。

「悪」なのだから、早く終わらせることが
何よりもの「善」になるのだった。

ディオゲネス

わきによけてくれませんかね、
そこに立っていられると陽が入ってこないもんで

後を引くという戦争のもつ最大の悪への理解が、

後を引くという戦争のもつ最大の悪への理解が、
シビリアンの多くには充分ではないのだ。

マルクスが傾倒していた哲学は、

マルクスが傾倒していた哲学は、
いかに良く正しく生きるか、

への問題には答えてくれるかもしれないが、
人間とは、崇高な動機によって
行動することもあれば、

下劣な動機によって行動に駆られる
生き物でもあるという、

人間社会の現実までは教えてくれない。
それを教えてくれるのは、歴史である。

職業には貴賎はないが、

職業には貴賎はないが、
生き方には貴賤はある。

ローマ人の物語 (31)
終わりの始まり(下) (新潮文庫)

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軍隊とは、ローマ時代にかぎらず
どの民族でいつの時代でも、

軍隊とは、ローマ時代にかぎらず
どの民族でいつの時代でも、

恵まれない生まれの者にも門戸が開かれていた、
数少ない実力主義の組織であることが
痛感されるからだ。

「小事」まで批判を受けてはならぬ
という思いで進めると、

「小事」まで批判を受けてはならぬ
という思いで進めると、

「大事」が実現できなくなる。
大胆な改革を進める者には、
小さなことには
今のところは眼をつむる
ぐらいの度量は必要であったのだが。

実力主義にはプラス面も多いが、

実力主義にはプラス面も多いが、
人間社会の他のすべての事柄と同じで
マイナス面もある。

実力主義とは、結局は
実力でカタをつけるしかない解決法なのであった。

スッラとなると、嘘はつかなかったが、
その代わりに情況のほうを変えた。

セヴェルスは、
情況が求めるならば嘘をつくことも戦術の一つ、
と考える人であったのだ。
スッラとなると、嘘はつかなかったが、
その代わりに情況のほうを変えた。

民衆とは、自分たちと似ている指導者には

民衆とは、自分たちと似ている指導者には
親近感をもつが、

似ていない指導者のほうに魅かれるものなのだ。
この傾向はとくに、
危機の到来を感じたときに顕著になるのだった。

人間、「ルビコン」を渡った以上は、

人間、「ルビコン」を渡った以上は、
突走るしかないのだった。

乱世で最も成功率の高いのは、
自身で強烈に望んだ場合のほうである。

周囲に押されて、
というのは一見理想的に見えるが、

乱世で最も成功率の高いのは、
自身で強烈に望んだ場合のほうである。

強い意欲の結果であるからには目標の設定も明確で、
その目標に達するに必要な手段の選択でも、

真剣度がまるでちがってくる。

孤立感はそれを感ずる者の間での

孤立感はそれを感ずる者の間での
結束につながるからであり、

その行きつく先は、他とのバランスを忘れた
暴走以外にはないからである。

歴史に親しめば親しむほどメランコリーになるのも

善意が必ずしも良き結果につながらないという、
古今東西いやというほど見出すことのできる
人間社会の真実の例証であると思う。
いや、もしかしたら人類の歴史は、
悪意とも言える冷徹さで実行した場合の成功例と、
善意あふれる動機ではじめられたことの失敗例で、
おおかた埋まっていると
言ってもよいのかもしれない。

善意が有効であるのは、即座に効果の表れる、
例えば慈善のようなことに限るのではないか、と。
歴史に親しめば親しむほどメランコリーになるのも、
人間性の現実から眼をそむけないかぎりは
やむをえないと思ったりもする。

権力者であるのも、意外と不自由なことなのだ。

権力者であるのも、意外と不自由なことなのだ。
だが、この不自由を甘受するからこそ、
権力をもっていない人々が
権力を託す気持ちになれるのであった。

ローマ人の物語〈32〉
迷走する帝国〈上〉

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民主政体とは

民主政体とは、有権者である
市民全員の地位が平等でなければ成立しえない。

有権者各自の能力が平等というよりも、
持つ権利が平等でなければ
成り立たないということだ。

一票は、誰が持とうと同じ一票であることが、
基本理念であったのだから。

全員が平等でなければならない社会では、
異分子、即ち他国人に対して、

閉鎖的になるのは当然の帰結である。
昨日まで他所者であった人を、
今日からはわが家の一員だとして
同等の発言権を与えて
仲間に加えた場合を考えてほしい。

昨日までの長い歳月を
「わが家の一員」でがんばってきた側から、

反撥が起こるほうが自然ではないだろうか。
全員平等とは、異分子導入にとっては
最もやっかいな障害になるのである。

人間は、自らの本質に基づいた行為をしたとき、

人間は、自らの本質に基づいた行為をしたとき、
成功の確率は最も高くなるのである。

各階層間の流動性さえ機能していれば、

各階層間の流動性さえ機能していれば、
同質社会よりも異質社会のほうが
風通しを良くするには都合がよい。

他国人のような異分子に対しても、
まずは最後列に並んでください、

その後の前進はあくまでもあなたしだいです、
と言えるからである。

人間は、タダで得た権利だと大切に思わなくなる。

人間は、タダで得た権利だと大切に思わなくなる。
現代の投票時の棄権率の高さも、
これを実証する一例になるだろう。
なぜなら、実利が実感できないからだ。

人間は所詮、全員平等でいることには耐えられず、

人間は所詮、全員平等でいることには耐えられず、
何かで差別しなければ
生きていけないのかもしれない。

階級間の格差の全面的な撤廃は、

階級間の格差の全面的な撤廃は、
かえって階級間の流動性を
断ってしまうものなのである。

深い洞察とは反対の極みにあるのが浅慮である。

政策とは、将来にわたって
いかなる影響をもたらすかも洞察したうえで、

考えられ実施されるべきものと思う。
そして、深い洞察とは
反対の極みにあるのが浅慮である。

人間とは、事実だから信ずるのではなく、

人間とは、事実だから信ずるのではなく、
事実であって欲しいと思う気持ちさえあれば
信じてしまうものなのである。

権力者は、たとえ憎まれようとも

権力者は、たとえ憎まれようとも
軽蔑されることだけは絶対に避けねばならない。

善良で責任感が強いだけでは、
リーダーは務めきれないのである。

だが、この若者には、
困難な事態への対処には不可欠の柔軟性と、

必要であれば悪にさえもあえて
手を染める決断力が欠けていた。

善良で責任感が強いだけでは、
リーダーは務めきれないのである。

人間性の一面でもある。

人々を一つの運動に巻きこむには、
合理を唱えていては成功はむずかしいのが、
人間性の一面でもある。

次の原理も古今東西を問わず
人間社会には適用可能だ。

次の原理も古今東西を問わず
人間社会には適用可能だ。

現実主義者が誤りを犯すのは、
相手も実現を直視すれば
自分たちと同じように考えるだろうから、

それゆえに愚かな行為には出ないにちがいない、
と思いこんだときなのである。

歴史は、現象としてはくり返さない。

歴史は、現象としてはくり返さない。
だが、この現象に際して
露になる人間心理ならばくり返す。

それゆえ、人間の心理への深く鋭い洞察と、
自分の体験していないことでも
理解するのに欠かせない想像力と感受性、

このうちの一つでも欠ければ、
かつては成功した例も、
失敗例になりうるということを、

このエピソードは教示してくれていると思う。

現代の概念で過去まで律するようでは、

現代の概念で過去まで律するようでは、
歴史に親しむ意味はないのである。
歴史に接するに際して最も心すべき態度は、
安易に拒絶反応を起こさないことだと思っている。

ローマ人の物語〈33〉
迷走する帝国〈中〉

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ローマは多神教の世界であって、

ローマは多神教の世界であって、
一神教の世界ではない。

一神教ならば、
神が正統性を認知するようになっているが、

多神教の世界では人間が認知するのである。
それゆえ、正統性をもってスタートした者も、
人間がわかる形で
実力もそなえていることを示す必要がある。

いずれにしろ専制君主国でないと、

選挙で選ばれたわけでもないのに
女が政治に関与できるのは、

その女人自身が女王に生れた場合か、
それとも後宮政治の伝統が強い国にかぎられる。

いずれにしろ専制君主国でないと、
女は政治の世界では活躍できないのだった。

地政上の問題は

地政上の問題は、
信仰とは無関係だからであった。

正直に本心を吐露すること自体は悪くない。

正直に本心を吐露すること自体は悪くない。
だが、それをしてよいときかよくないか、と、
してよい相手がそうでないか、
のちがいは厳として存在する。

持てる力の無駄遣いに、
神経を払わないようになっていたのである

皇帝の治世が長かったことだけで、
継続性が保証されたのではない。
継続することが
エネルギーの浪費を防ぐ方法の一つであることを、

自覚し認識していたからであった。
三世紀のローマ帝国は、持てる力の無駄遣いに、
神経を払わないようになっていたのである。
これもまた、ローマ人が
ローマ人でなくなりつつある兆候の一つであった。

あれから百五十年過ぎた三世紀半ばでも、
外観は少しは変わったかもしれないが、
中身はさして変わっていなかったはずである。
生活水準の向上を、
「汗」ではなく「血」で
勝ち獲ろうとする生き方においても。

キリスト教会の特色の一つは、
分派活動が盛んなことである。

キリスト教会の特色の一つは、
分派活動が盛んなことである。

教理上の論争は、弾圧されている時代でも
衰えないほど盛んだった。

部外者からはなぜにそのようなことで争うのか
わからないほど細かいことにまで及ぶ

教理上の論争は、記述する必要を
認めないのではぶくが、

論争も所詮は、同じ司教でもどの都市の司教が上位にくるのかということに総括できる。
それが主たる争点になるのは、
上位に立てば立つほど金の流れを
自分のほうに引き寄せることが
有利になるからであった。
この、一見ならば不純にしか見えない一事は、
キリスト教会の汚点ではない。

宗教は、純粋な信仰のみでは
組織としては成り立たない。

教会は、宗教を旗印にかかげていようと
組織であることでは変わりはない。

そして、組織として機能していくためには、
馬車でもあるかのように、

純粋な信仰と冷徹な組織力という
二つの車輪が不可欠であり、

そしてその両輪をまわすのに必要な油も、
欠くことは許されないのである。
台頭しつつあった古代末期のキリスト教会も、
古今東西不変のこの原理を
正直に映し出していたにすぎないのである。

肉体の自由は奪うことはできても、

肉体の自由は奪うことはできても、
精神の自由までは奪うことはできない。
そして、精神の自由が
誰にも奪うことができないのは、

それが自尊心にささえられているからである。

ローマ人の物語〈34〉
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人間世界では、なぜか、権威失墜の後に訪れるのは、

人間世界では、なぜか、権威失墜の後に訪れるのは、
残された者同士の団結ではなく、
分裂である場合が圧倒的に多い。

束ねる役割を果たしていた存在が
消滅したことによって、

それまで自分たちよりは
上の存在によって束ねられていた人々は、

いったんはバラバラになるしかないのかもしれない。

女とは権力を手中にするやいなや

同性としては毎度のことながら残念に思うのだが、
女とは権力を手中にするやいなや、
越えてはならない一線を越えてしまうのである。

しかもそれを、相手の苦境につけこむやり方で行う。

軍務とは何たるかを知らないでは、
政治は絶対に行えない

兵士を率いて敵陣に突撃する一個中隊の隊長ならば、
政治とは何たるかを知らなくても
立派に職務を果せる。

しかし、軍務とは何たるかを知らないでは、
政治は絶対に行えない。

軍人は政治を理解していなくもかまわないが、
政治家は軍事を理解しないでは政治を行えない。

人間性のこの現実を知っていたローマ人は、
昔から、軍務と政務の間に境界をつくらず、

この間の往来が自由であるからこそ生れる、
現実的で広い視野をもつ
人材の育成のほうを重視したのであった。

古代人の一人なのであった。

しかし、彼もまた、
多神教が主流であった古代の人である。

個人的には何を信じようと
それはその人の自由であり、

ゆえに他の人の信ずる神も許容することが
宗教に対する態度であるとした、

古代人の一人なのであった。

多くの人によってより素直に胸に入ってくるのは

だが、正当であるのは明らかな実力重視路線だが、
人間世界のすべてのことと同じに、
利点があれば欠点もある。
実力主義とは、機能まで自分と同格であった者が、
今日からは自分に命令する立場に立つ、
ということでもある。
この現実を直視し納得して受け入れるには
相当な思慮が求められるが、

そのような合理的精神を
もち合わせている人は常に少ない。

いわゆる「貴種」、
生まれや育ちが自分とはかけ離れている人に対して、

下層の人々が説明しようのない敬意を感ずるのは、
それが非合理だからである。

多くの人によってより素直に胸に入ってくるのは、
合理的な理性よりも非合理的な感性のほうなのだ。

不安に満ちた時代に生きる人々は、
寛容でリベラルなものよりも、

異教徒側からの批判は、
もっぱらキリスト教の
この不寛容性に向けられていた。

しかし、不安に満ちた時代に生きる人々は、
寛容でリベラルなものよりも、

不寛容で全体主義的でさえある信仰のほうに、
より強く魅きつけられるものなのである。

キリスト教の勝利の要因は、

キリスト教の勝利の要因は、実はただ単に、
ローマ側の弱体化と疲弊化にあったのである。
ローマ帝国は、自分自身への信頼という、
活力を維持するには最も重要な要素である、
気概までも失ってしまったのであった。

ローマ人の物語 (35)
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平和は、人間世界にとっては

平和は、人間世界にとっては
最上の価値なのである。

ただし、何もしないでいれば、
それはたちまち手からこぼれ落ちてしまうのだった。

ローマ人は敗者を、

ローマ人は敗者を、
足蹴にするようなまねは絶対にしない。

それは、敗者の心情への配慮というよりも、
ローマ人自らの自尊心に反する
行為になるからである。

人間が決めて実行するあらゆる事柄には

しかし、人間が決めて実行するあらゆる事柄には、
私には神が定めたとされる事柄とて同様に思えるが、
プラス面があると同時に
マイナス面も合わせもつという性質がある。

ローマの神々は努力する人間を

皇帝の頭上に冠をかぶせる人もいなかったのは、
ローマでは、誰が皇帝になるかということでも
「人間」が決め人間が承認するからであって、
「神」ではなかったからである。
ローマの神々は努力する人間を
助けはげます神ではあったが、

人間に対し、何であろうと
「やれ」と命令する神ではなかった。

誰を皇帝にせよ、と、
人間世界の人事に口を出す神ではなく、

人間たちが皇帝にした人に、
なった以上はその責務を果たすために
全力をつくせば、

われわれ神々も支援は惜しまないであろう、
とでも言う感じの存在であったのだ。

権力とは、それを持つ者を堕落させるが、

権力とは、それを持つ者を堕落させるが、
持たない者も堕落させるという性質をもつ。

“専従”とは、効率面のみを考えれば

ディオクレティアヌスは、
専従にすることで責任感をもたせ
任務も充分に果させようと考えて、

ローマ帝国後期を特色づける
この制度をつくったのであろう。

しかし人間とは、一つの組織に帰属するのに慣れ
責任をもたせられることによって、

他の分野からの干渉を
嫌うようになるものなのである。

そして、干渉を嫌う態度とは、
自分も他者に干渉しないやり方につながる。

自分も干渉しない以上は
他者からの干渉も排除する、というわけだ。

この考え方が、自らの属す組織の肥大化に
つながっていくのも当然であった。

干渉、ないしは助けを求める必要、
に迫られないよう、

いかに今は無用の長物であろうと
人でも部署でも保持しておく、であるのだから。

ディオクレティアヌスが意図していた以上に、
彼の考えに立って組織されたローマ帝国後期の
官僚機構が肥大化してしまったのも、

この種の組織が内包する性質に
原因があったのではないかと思う。

“専従”とは、効率面のみを考えれば
実に合理的なシステムに見えるが、

深い落とし穴が隠されているのである。

ローマ人の物語 (36)
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人間にとっての幸不幸は、
自分に合った時代に生れたか否か、

にかかっているということだ。

一国家の誕生から死までをあつかう
通史を書いていて痛感することの第一は、

人間にとっての幸不幸は、
自分に合った時代に生れたか否か、

にかかっているということだ。
資質も才能も努力する意志も、

この一事を前にしては価値が薄れる。
だから私も、成功の条件とか失敗の教訓
などと銘打った書物を書く気になれないのである。

成功も失敗も、
そうそう簡単には定義できないという気がして。

第二は、いかなる改革も
当事者たちの本質に基づいていないかぎりは
失敗に終わる、
ということだった。

それに伴う特権のすべてを失った後でも、
最後まで残るのが「誇り」である。

長く覇権国家であった国の住民には、
もはや覇権を行使する権力はなく、

それに伴う特権のすべてを失った後でも、
最後まで残るのが「誇り」である。

これだけは他者が、
奪おうとしても奪えないものであるからだ。

だからこれさえも失えばもう終わりなのだが、
イタリア半島の住民も首都ローマの住民も、
まだそこまでは落ちていなかった。

ローマ人の考える「寛容」とは、

ローマ人の考える「寛容」とは、
強者であっても自分たちの生き方を押しつけず、

弱者であろうと
その人々なりの生き方を認めることであったのだ。

戦闘を前にして立てる戦略と戦術は、

戦闘を前にして立てる戦略と戦術は、
いくつかの基本的なことだけを決めて、

その他のことは戦場で戦況の進む具合を見ながら
臨機応変に対処していくものである。

事前に綿密に細部まで決めておくと
それに縛られてしまい、

戦場ではしばしば起る
予想外の展開に対応できなくなる。

ローマ人の物語 (37)
最後の努力(下) (新潮文庫)

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コンスタンティヌスは、

コンスタンティヌスは、
需要とは自然に生まれてくるものとは限らず、

喚起することによっても
生まれてくるものであることを知っていた
「戦略家」、

ストラテジーの語源であったギリシア語を使えば
「ストラテゴス」、であったのだった。

中年の女の恋は、

中年の女の恋は、
若い女の場合のように夢からではなく、

絶望から生れるものなのである。
露見しようものなら、
死しか待っていないと知っていながら。

ミラノ勅令

今日以降、信ずる宗教がキリスト教であろうと
他のどの宗教であろうと変わりなく、

各人は自身が良しとする宗教を信じ、
それに伴う祭儀に参加する完全な自由を認められる。
それがどの神であろうと、その至高の存在が、
帝国に住む人のすべてを恩恵と慈愛によって
和解と融和に導いてくれることを願いつつ

宗教を旗印にすると、
問題は常に複雑化するのだった。

宗教を大義名分に使えなければ
争いは人間同士のことになり、

単なる利害の衝突にすぎなくなる。
ゆえに、争うことが損とわかるや自然に収まる。
宗教を旗印にすると、
問題は常に複雑化するのだった。

公会議の目的なのであった。

人間を守護してくれる神を祭るのが
本来の性質である多神教ならば、

「神のお告げによってもたらされる真理」を意味する
「教理」が存在しなくても、
いっこうに不都合ではない。

だが、人間に生きるべき道を指し示すのを
目的にしている一神教となると、

教理があること自体がその宗教の存在理由になる。
そして、教理がかくも重要であれば、
その教理に対しての解釈のちがいが
生まれてくるのも当然の現象なのだ。

ただし、この解釈のちがいを
調整しないで放置すると、

宗教組織は空中分解してしまう。
それを、解釈のちがいを
調整することで阻止するのが、

司教たちを集めて開かれる
公会議の目的なのであった。

真実への道を説かれただけでは心底からは満足せず

なぜなら人間は、
真実への道を説かれただけでは心底からは満足せず、

それによる救済まで求める生きものだからである。
真実への道を説いた人というなら、
ソクラテスがいる。

もしもイエスが十字架上で
死んだだけで終わったのなら、

自分の考えに殉じたという点で、
自ら毒杯をあおって死んだソクラテスと同格になる。

ローマ人の物語 (38)
キリストの勝利(上) (新潮文庫)

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人間は誰でも、

人間は誰でも、
自分自身のクビがかかっている
人のほうを向くものなのである。

時代の転換期に生きることになってしまった人でも

時代の転換期に生きることになってしまった人でも、
選択の自由ならばある。

流れに乗るか
流れに逆らうか
流れから身を引くか

人間の顔を表現する場合は、

人間の顔を表現する場合は、
それがリーダーの顔であればなおのこと、

その人の顔の現実を映すだけでなく、
表現する側がどう見るかを映すものでもある。
有力者でも皇帝でも、
その人がどのような顔つきであるかを
映すだけではなく、

表現する側の、自分たちを代表するリーダーならば
どのような面がまえであってほしい、

とでもいう想いの表れでもあるのだ。
事実そのままであると思われている写真ですらも、
カメラマンが被写体をどう見たかが、
表われないではすまないのと似ている。

人間が制作する彫像やモザイク画では、
写真よりも制作する側の見方がより強く反映する。

排他的な組織は、自らを守るためとはいえ

こうであれば当然の帰結だが、
この種の組織に支配的な感情は、
憎悪と背中合わせの関係にある嫉妬になる。

そして、嫉妬は容易に、
陰謀にエスカレートする。

排他的な組織は、自らを守るためとはいえ、
スパイ網に転化しやすいのだ。

文学作品を読むだけでなく
それを暗唱させるのは

文学作品を読むだけでなく
それを暗唱させるのは、

その作品の世界に身を投じ、
そこで遊ぶ愉しさまでも教えることである。

世間には、他人の業績を、
半分賞め半分けなすことを

世間には、他人の業績を、
半分賞め半分けなすことを
モットーにしているのではないかと思う人がいる。

この種の人は、この奇妙なバランスをとることで、
責任を回避しているのだ。

言い換えれば、勇気のない人である。
コンスタンティウスも、
このタイプの人間の一人だった。

ローマ人の物語 (39)
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改革がむずかしいのは、

改革がむずかしいのは、
既得権層はそれをやられては
損になることがすぐにわかるので激しく反対するが、

改革で利益を得るはずの非既得権層も、
何分新しいこととて
何がどうトクするのかがわからず、

今のところは支持しないで様子を見るか、
支持したとしても
生ぬるい支持しか与えないからである。

だから、まるで眼つぶしでもあるかのように、
早々に改革を、しかも次々と打ち出すのは、
何よりもまず既得権層の反対を
押さえこむためなのだ。

権力とは、他者をも自分の考えに沿って

権力とは、他者をも自分の考えに沿って
動かすことのできる力であって、

多くの人間が共生する社会では、
アナルキアに堕ちたくなければ
不可欠な要素である。
ゆえに問題は、良く行使されたか、
それとも悪く行使されたか、でしかない。

官僚機構は、放っておくだけで肥大化する。

官僚機構は、放っておくだけで肥大化する。
それは彼らが自己保存を最優先するからで、
他の世界とはちがって官僚の世界では、
自己の保存も自己の能力の向上で
実現するのではなく、

周辺に同類、言い換えれば
“寄生虫”を増やしていくことで
実現するのが彼らのやり方だ。

ゆえに彼らに自己改革力を求めるくらい、
期待はずれに終わることもない。
官僚機構の改革は、
官僚たちを「強制して服従させる力」
を持った権力者にしかやれないことなのである。

権力を委託するのが「人間」であるかぎり、

権力を委託するのが「人間」であるかぎり、
殺したりすることで権力を剥奪する権利も
「人間」にあることになるからである。

哲学の真髄は、知識ではなくて思索である。

哲学は、つぶしが効かない学問だと言われている。
しかし哲学の真髄は、知識ではなくて思索である。
思索とは、体操が筋肉の鍛錬であるのと同じで、
頭脳の鍛錬である。言い換えれば、
思いをめぐらせる作業に
頭脳を慣れさせる、ということだ。

風刺文学の傑作には不可欠の、

風刺文学の傑作には不可欠の、
慄然とならざるをえないほどの
痛烈な批判性とともに、

微苦笑をもらさずにはいられないユーモアという、
二大要素が不在だからである。

ローマ人の物語 (40)
キリストの勝利(下) (新潮文庫)

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人間は移動する。

人間は移動する。
しかも、しばしば暴力的に。

政治と行政はちがうのだ。

政治と行政はちがうのだ。
行政上では困難と思われることでも、
政治上の配慮によって
成されねばならないことは多い。

ゆえに、この場合の判断は、行政の責任者ではなく、
政治の責任者が下さねばならない。
つまり、このようなことは政治的判断に属す。
そして、それを実施する際の具体的な対策も、
政治的判断を下した側が監視しつづける必要がある。

中間層の確立していない人間社会は、

中間層の確立していない人間社会は、
不健全であるだけでなく機能しないからである。

自分の考えを行動によって示す者にとっては、

自分の考えを行動によって示す者にとっては、
正直に告白しないほうが
適策である場合が多いのである。

ローマ人の物語 (41)
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ゆえに亡国の悲劇とは、

ゆえに亡国の悲劇とは、
活用されずに死ぬしかなかった多くの人材の悲劇、
と言ってもよいと思う。

「共同体」と「個人」の利害が

「共同体」と「個人」の利害が
合致しなくなることも、

末期症状の一つであろうかと思ったりしている。
そして、公共心も、個人が、
自分の利害と自分が属す共同体の利害は連動する、

と思えた場合に発揮されるものではないか、と。

人間には、絶対に譲れない一線というものがある。

人間には、絶対に譲れない一線というものがある。
それは各自各様なものであるために客観性はなく、
ゆえに法律で律することもできなければ、
宗教で教えることもできない。
一人一人が自分にとって良しとする生き方であって、
万人共通の真理を探究する哲学でもない。
ラテン語ならば「スティルス」だが、
イタリア語の「スティーレ」であり、
英語の「スタイル」である。
他の人々から見れば重要ではなくても
自分にとっては他の何ものよりも重要であるのは、
それに手を染めようものなら
自分ではなくなってしまうからであった。

ローマ人の物語 (42)
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自身で経験したことにしか
考えが及ばないようでは

しかし、自身で経験したことにしか
考えが及ばないようでは、

官僚はやれても政治家はやれない。
自身で経験していないことでも
知識と想像力は駆使することによって、

ローマ人が好んだ言葉で言えば、
「comprehendere」、

つまり「把握し理解する」必要があり、
それには情報が欠かせなかった。
しかも情報は、一つではなく複数であることが、
このような場合には絶対の条件になる。

情報力とは、

情報力とは、
何か感じたということが端緒になり、

磁石でもあるかのように
そこに集まってくる性質をもつ。

ローマ人の物語 (43)
ローマ世界の終焉(下) (新潮文庫)

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歴史には、進化する時代があれば退歩する時代もある。

歴史には、進化する時代があれば
退歩する時代もある。

そのすべてに交き合う覚悟がなければ、
歴史を味わうことにはならないのではないか。
そして、「味わう」ことなしに、
ほんとうの意味での
「教訓を得る」こともできないと信じている。

信仰とは各人の心の問題だから

信仰とは各人の心の問題だから脇に置いて、
他の分野で共にできることを
共同して行うとする考え方は、

多神教にしか可能でないのかもしれない。
それゆえ一神教徒にでも期待できるのは、
「共生」が限界であるのかも。

ときには歴史は、微苦笑するしかない

ときには歴史は、微苦笑するしかない
つまらないことによって動く、
という一例である。

政治でも軍事でも行政でも、

政治でも軍事でも行政でも、
人間世界の多くのことは
「苦」を伴わないでは済まない。

ゆえにそれを国民に求めねばならない
為政者に必要な資質は、

「苦」を「楽」と言いくるめることではなく、
「苦」は苦でも、
喜んでそれをする気持にさせることである。

戦争は、弁解の余地もない「悪」である。

戦争は、弁解の余地もない「悪」である。
その「悪」に手を染めねば
ならなくなった軍事関係者が

頭にたたきこんでおかねばならないことの第一は、
早く終える、に尽きるのであった。

終り

盛者は必衰だが、
「諸行」(res gestae)も無常であるからだろう。

これが歴史の理ならば、
後世のわれわれも、襟を正してそれを見送るのが、
人々の営々たる努力のつみ重ねでもある歴史への、
礼儀ではないだろうかと思っている。 

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