この記事では歴史小説家、和田竜の名言を紹介していきます。
『のぼうの城』の名言集
作品を見るまでは、なんでのぼうが野村萬斎なんだよ! 体型が違うだろ!と怒っていたのですが、野村萬斎じゃないとあの踊りは出来ないですね。凡夫が間違っていました申し訳ないです。
参戦武将は石田三成、大谷吉継、長束正家、真田昌幸、信繁父子など。これを踊って撃退とか無双プレイヤーキャラ昇格の暁には、孔明並みにビームをばらまくキャラになるに違いない。
だが、馬鹿者はこのとき、
侍でもなければ成田家の一門でもない、
ただの男になり果てていた。
強者の侮蔑にへつらい顔で臨むなら、
その者はすでに男ではない。
強者の侮蔑と不当な要求に断固、
否を叫ぶ者を勇者と呼ぶのなら、
紛れもなくこの男は、満座の中でただ一人の勇者であった。
この文章でテンションがうなぎ登りですよ。そしてこの後に続く場面がたまりません。
「武ある者が武なき者を足蹴にし、
才ある者が才なき者の鼻面をいいように引き回す。
これが人の世か。
ならばわしはいやじゃ。わしだけはいやじゃ」
強き者が強きを読んで果てしなく強さを増していく一方で、
弱き者は際限なく虐げられ、踏みつけにされ、
一片の誇りを持つことさえも許されない。
小才のきく者だけがくるくると回る頭でうまく立ち回り、
人がましい顔で幅をきかす。
ならば無能で、人が良く、愚直なだけが取り柄の者は、
踏み台となったまま死ねというのか。
「それが世の習いと申すなら、このわしは許さん」
この作品では長束正家がとても傲慢でイヤな人物として描かれていますが、関ヶ原でとても苦労します。不憫ってレベルじゃねーぞというレベルで苦労します。
隠せば噂は広がる。
洗いざらい話せばみんなわかってくれる。
脅しあげて口を封じるからこそ、
噂は真実をもって人から人へと伝わる。
三成にとって戦とはこういうものである、
おのれが認める者とこそ、雌雄を決する戦がしたい。
くだらぬ者どもと交わす戦にどんな価値があるというのか。